「イタリアに来なさい」
サラのそのメールの一言で、ドイツで当時人生を路頭に迷っていた僕は、イタリアへスーツケースひとつで移り住むことを決心した。チャオがイタリア語なのかスペイン語なのか分からないままに、ヴェネチアの深夜近くの真っ暗なマルコ・ポーロ空港へと降り立った。
空港に車で迎えに来てくれた(僕の生涯の姉となるイタリア人の)サラと、そこで初めて対面するマンマのリア。車内で飛び交うイタリア語は、全くちんぷんかんぷんで、けれども僕は不安よりも新しい冒険に向かう勇気と覚悟のほうが気持ちが優っていた。お父さんのアントニオはナポリ出身で、遠い異国から来た見ず知らずのジャポネーゼの僕を、冗談混じりの笑顔で迎え入れてくれた。喧嘩ばかりしたけど、よい思い出しかない。僕という異端児の変わり者をよく叱ってくれた。おかげで数ヶ月足らずでイタリア語はマスターした。時刻は深夜。下の階ではおばあちゃんが寝ていて、それから一匹のチルチェという犬がいた。
よく人は、終わりが大事と言うけれど、僕はものごとのはじまりの記憶をより大切にしている。それは出会いや発見、感情がスパークする奇跡に近い瞬間だからだと感じているからだ。
この家族との物語については語り尽くせないほどの魔法が詰まっている。ただ言えることは、僕はあなたちちのおかげで世界の広さと、心の強さを得ることができたこと。与えてくれた愛情は胸の中に、記憶は瞼の裏に、今でも誇りを持ってここ東京で生きている。
またすぐにでもヴェネチアに帰って、彼女たちとたくさん話たいことがある。遠く離れていても、どうやら僕にはヴェネチアの血と水が体に流れているようだ。目を閉じると聴こえてくるのは、ヴァポレットのエンジン音と水の音、教会の鐘の音とゴンドラ乗りのおじさんたちの声である。
語らなければならないのは、人生はときに暗闇にジャンプする勇気と覚悟をもたなければならないこと、努めなければならないのは、自分の物語を愛し誇りをもち続けること、サラの家族から教わったことはそういうことなのかもしれない。


























